バイトへの挑戦と挫折
先日、僕は勇気を振り絞って、電話でバイトに応募し、面接を受けてみた。
これは大学に入ってから初めてのことで、人生においてもほとんと初めての経験だった。
高校1年の時に一度、9日間だけ郵便配達のバイトをしたことはあったが、中学の友達の紹介があったおかげで出来たことだった上、手続きなどは親にやってもらった部分もあったので、自分ひとりで最初から全部やったのは初めてのことだった。
バイトをしようと思った直接の強いきっかけというのは特にない。
だが、前期のころから将来について考える授業でバイトが重要だということを散々言われていたし、自分でも今後の就活や趣味のためにお金が必要だと感じていたことから、近いうちにやらねばやらねばと思っていたものが、最近になってようやく実行に移されたのだった。
僕がそのほとんど初めてのバイトの応募先として選んだのは、アパートの近所のGEOだった。
店の入り口にバイト募集の張り紙があるのを見たとき、これだ!とひらめいた。こういうエンターテインメント系の仕事は一度やってみたいと思っていたから。何とも単純な理由だが、意志は強かった。
8月11日のことだった。
それからの僕の行動は早かった。
他の人に先にバイトを取られてはならないと思って、翌日の昼前には店に電話をかけた。
元々知らないところへ電話をかけるのは苦手な性分な上、バイトの応募という初めての挑戦を前にして、僕は短からぬ間、電話と葛藤を繰り広げた。
50分になったらかけよう、かけよう!と思いつつ、固まったまま53分になる・・・。そんなことを繰り返しつつ、やっと思い切って電話をかけることができたのだが、実際やり取りが始まると案外何てこともなく、スムーズに話を進めることが出来た。
電話に出たのは担当の方ではなく、普通のバイトの方らしかったが、普段の低い声より少しトーンを上げて、はきはきと精一杯明るく装って受け答えをするよう心がけた。
6分ほどこちらのことを聞かれたり、面接の日と履歴書を持参という説明を受けたあと、電話は終わった。そのとき、俺は何とも言えない満足感に包まれていた。
8月13日、夕方6時過ぎ。バイトを見つけて2日後、僕はGEOの店内の、事務室のようなところにいた。面接を受けるためだった。
書きたての、当然初めて書いた履歴書を持ち、身だしなみを整えた僕は、そこで店長さんと相対していた。
志望動機や、今までバイトをしてこなかった理由、自己PR、長所・短所などから、はてはお客様にとって一番大事なことは何だと思うかというものまで、様々な質問攻撃を受けたが、アドリブが苦手な僕は用意周到なことにこういう質問を想定して、予め問答を用意していたので、自分でも奇妙なほどすらすら話せた(最後の質問は予期せぬ難問だったが、なんとか答えた)。
質問だけでなく、店長さんはお店の仕事や、シフトの制度など、働き始めてから必要な知識についても教えてくれたので、僕はうかつにも半分受かったような気分になっていた。店長さんの反応もそんなに悪くないように僕には思われたのだ。
「結果は一週間後までに連絡します。不採用の場合も必ず履歴書はお返しします」
面接が始まって約40分後。店長さんに挨拶をしてから、一目散にお店の外に出ると、僕はまたしても変な満足感に、そして若干の不安に包まれていた。
しかしその日はもうほとんど受かった気分で、毎月5万円以上稼いであんなことやこんなことに使いたいなぁ、などと皮算用にふけったのだった。
しかし事態はそううまくは進まなかった。
電話がかかってくるのを毎晩まったが、早ければこの日には・・・と言っていた18日をすぎても、一週間を過ぎても、10日を過ぎても電話は来ず、僕のテンションはすっかり下がってしまったのだった。
ああ、駄目だったのか、と思いつつもう仕方ないことさと考えていた24日、GEOから一通の封筒が届いた。
中身は分かっている。履歴書だろう。
開けてみると実際それはあった。だが、期待していなかったものも入っていた。不採用を告げる一枚の文書だった。
不採用なら不採用でほうっておいて欲しかった。不採用ならそれでいい。それが僕の気持ちだったが、その紙を見た途端、僕の心に何故だか怒りがこみ上げてきた。
あんなに真面目に面接を受けたのに、何でダメなんだ!高校のときの三者面談以上に真摯な態度だったんだぞ!くそ、もうバイトなんてするもんか!
僕はぶつけようのない、意味もない怒りに苛まれた。そういえば募集の張り紙では学生よりフリーターが欲しいようだった。元々チャンスはなかったのかもしれない。運が悪かったのだ。
そう思ってみても、胸がすっきりしなかった。
「自己否定された」、そう感じられたことに、パニくってしまっていたのかもしれない。
そこで僕のバイトへの挑戦は、挫折とともに終わることとなったのだった。
それからしばらくはもうバイトなんてやらない、やりたくない。そう思ってていた。
その思いは今も同じだ。おそらく向こう一ヶ月はやろうとはしないだろう。
しかし現実は厳しい。企業の採用ではバイト経験が非常に重視されると聞くから、しないわけにはいかないだろう。
残念ながら、バイトをすることに選択の自由はあるようでないものなのだ。
次の挑戦が僕に挫折の悪夢を呼び起こさせないことを、祈って止まない。
- [2007/08/27 22:08]
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流行は1年たってから
僕はあまり「今時」のものに頓着しないほうだ。
むしろ若干距離を置く嫌いすらある。
ブーム、流行というのは企業などが一儲けするために大衆を誘導して計画的に発生させる一種のイベントだと僕は思っていて、安易に企業に利用されるのは何となく好かない気がするからだ。
だから大流行したといわれる「世界の中心で、愛をさけぶ」も、題名は「世界の中心で愛を叫んだけもの」という海外の小説から取ったものということは知っているが、中身については恋愛物らしいということしか知らないし、服だってトレンドなんて微塵も考えず、ユニクロで適当に気に入ったのを選んでいるに過ぎない(今まで言っていなかったが、僕は2年前から「全身ユニクロ男」である)。
またバレンタインデーやゴールデンウィークというのは企業の陰謀であるという説を信じてもいるので、元々単体では好きではないチョコレートは欲しくない(まあたとえ欲しくたってもらえはしないが)し、長期の休みだろうとレジャーなんて滅多に行かない。
ただ、そういう流行が「まんまと」成功するからには流行した商品や作品にはそれなりの価値があるだろうとは思っている。
だから若干興味を持つ場合もある。
そういう場合、僕は流行が一過した後、例えば去年流行したものなら今年に入ってしばらくしてから、それでもなお名前が時たま耳に入るようなものに限って、実際触れてみることにしている。
流行が収まっても完全に消え去らないものには、流行という「伝染病」の力を借りなくとも存在価値を持つだけの、潜在的価値があると思うからだ。
映画でも、賞を取れなくとも多くの人から支持される作品、例えば「ショーシャンクの空に」のようなものこそ、むしろ本当の価値を持っているのではないかと思っている。
「セカチュー」が果たして僕のメガネにかなう作品なのかは、ちょっと微妙なところかな?
- [2007/08/26 23:25]
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もしかして、「ゲーム離れ」?
昔から僕にとってゲームは特別な存在だった。
僕は人よりゲームを手に入れるのが遅かったが、そのことでゲームへの憧れ、思い入れは人一倍強かったから。
ゲームは最大の趣味であり、生きがいだと感じていた。そう思っていた。
ヌルゲーマーではあるが、自分はいつまでもこのままゲームを愛し続けるのだと、死ぬまでゲームを「卒業」することなどないと、思っていた。
なのに・・・。
近頃、僕はめっきりゲームをしなくなってしまった。
前期試験が終わり、集中講義があるとはいえ、夜には漫画を何冊も読むほどの時間的余裕があるのに、ゲームをする気が起きないのだ。
やらなくちゃという思いはあるが、やりたいという自発的感情が中々強くならず、結局行動として現れては来ないのである。
ゲームの情報は昔からの習慣で、ファミ通を読んだりして得ているが、かつてのように新作や移植版の発表に心弾ませたり、わくわくすることはもはやなくなってしまった。往時の無邪気さが、感動が、失われてしまった。
なぜだろうか。
僕が「大人」に、無感動な人間になって、ゲームという幻想世界に感情移入して楽しむほどの心の余裕がなくなってしまったということなのだろうか。
これが、「ゲーム離れ」なのだろうか。
悲しい・・・。
そんなことはしたくない。
したくない!
でも現実に僕はゲームから離れつつある。
自分とゲームとを再び強く結び付けるにはどうしたいいのだろうか・・・。
- [2007/08/17 23:18]
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夏休・・・み?
昨日から集中講義が始まって、事実上夏休みは一時休止状態。
今週は1限から4限まで連続で同じ授業が入ってるので、まるで高校時代のようだが、1時間が90分な分感覚が違うし、当時よりハードに思えもする。
一日5コマ入っている日もあるが、その日は8時半に登校して終わるのが17時55分なので・・・さながら地獄だ。想像しただけで恐ろしい。しかし単位のためと思えば、この程度の労力など大したことはない。
夏休みの2ヶ月で最大10単位が取得できるのだ。
これは僕が昨年取得した全単位数(12)にも匹敵する。非常に大きいのだ。
2日目にして疲労を覚えているが、何とか頑張って乗り切りたいと思う。
しかし、全くつまらない夏休みだ。
何のイベントもないのだから。
別に元々何の期待もしていないとはいえ、高校時代の親友で僕と似た境遇にある一人の友人と地元で一度遊んだのと、Sと少し遊んだくらいしか、この2週間で思い出せるイベントがないとは・・・。
そしてこれからの1ヵ月半にもほとんど何のイベントも考えていない。せいぜい漠然と自転車旅行したいなあと思っているのと、東京ゲームショウに一度行ってみたいなあというくらいなもの。しかしそれさえ時間的に叶いそうにない。
最近Sの勧めで読み始めた東京大学物語(下ネタばっか、というかそれで成り立ってるのはあんまり好かないが、面白いことは面白い)を見てると、他の大学生は色々なことしてるのかなーなんて考えるけど、面倒なことが嫌いな性質なので現状を変えてまでなんかしたいとは思わないのが現実だったりする。
ゲーアニサー設立もあんだけ公言しときながら結局腰折れしちゃったし、ホント、いい加減な人間だな、自分は。
お盆だけど帰省してないし、今年は今年でおかしな年だなぁ・・・。
- [2007/08/15 23:01]
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ヴィーゴへの怒り
「車を走らせながら、地球に貢献出来ることもあるんだよ」
何ヶ月か前から、ENEOSのハイオクガソリン、NEWヴィーゴのCMでイチローがこのセリフを口にするたび、僕は怒りを覚えた。
車に乗ってガソリン燃やして、CO2やNOXなんかを排出してるくせに、一体何に貢献しているというのか、ふざけるな、と。
このCMではNEWヴィーゴの燃費のよさと、排出されるCO2の、一般のガソリンと比較しての若干の少なさをアピールしている。だが、環境への負荷がほんの少し軽減されたとはいえ、それでもガソリン車である以上、環境を汚していることには何の変わりもないのである。
これは言い換えれば、毎回1000万円以上強奪していた銀行強盗が、ある日から100万円しか要求しなくなったことを、「彼はいい人になった」というようなものだ。悪さの程度が以前より凶悪ではなくなったが、結局犯罪をやめてはいない。それを「いいこと」だと言えるだろうか?もちろんそんなはずはない。相変わらず犯罪者なのである。「地球(環境)に貢献」と言っているが、結果を考えればむしろ「環境破壊に貢献」といったほうが適当だ。
人間は文明の中で生きる限り、大なり小なり必ず自然に影響・負荷を与えている。だから意識するしないに関わらず、誰もが環境破壊という「原罪」を背負って生きているのだ。それに気付かないのも問題だが、もっと問題なのは、環境負荷を軽減したことを、「環境に貢献した」と思ってしまうことだ。
トータルで見れば相変わらずマイナスの影響を与えているにもかかわらず、マイナスの大きさが小さくなったことでプラスの影響を与えていると錯覚し、良いことをしたと満足感をもってしまう。それはとても危険なことだ。なぜなら満足感をもつことは環境意識的行動への妥協につながりやすく、これで自分に出来ることはやったというような気になってしまいがちだからである。例えば先のヴィーゴの場合、これで車の排気ガスの問題は一段落付いたというような、安易な発想を招きかねないのだ。
残念ながら、環境貢献という錯覚と、満足感からの妥協は、今の社会に広くはびこっている。ハイブリッドカーに乗っている某映画俳優のCMとか、今日新聞で見かけたアイドリングストップを心がけている人の投書などなど、例を挙げればまったくきりがないほどである。
別に僕が言いたいのは、ハイブリッドカーとかに意味がないとか、アイドリングストップがバカらしいとかいうことではない。無論どちらも資源浪費の抑止、環境負荷の軽減にむけて微々とはいえ、確実に重要な意味を持つことだ。だが、そうしたことによって、環境を破壊しているという原罪を忘れてしまってはならない、ということなのである。
どんなに環境負荷を軽減しても妥協せず、更なる軽減を志さねば、現状の過剰浪費・過剰汚染・過剰破壊的な人間社会の活動に、歯止めはかからない。だから何をしても、常に危機意識と自らの原罪を忘れないようにせねばならないのである。例えば、どんなに不可能に思えても、自家用車をなくすことが、貢献ではなくマイナスを0に近づけていく上で、一番最善の方法だと考え続けることが、妥協しない思考の一つである。
人々と、それに企業が、錯覚から解き放たれ、原罪を意識するようになること。それなくして大きな改善はまずありえない。しかし、そこに至る道のりは、まだまだ遠そうである。
- [2007/08/07 22:40]
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前期ほぼ終了
一昨日、専門のテストが二つあって、それで今期の試験はすべて終わった。
まだ明日、教養の授業があって、それが今期の日程の最後ではあるのだが、それはもうレポートを提出してあるし、まあ参加すればいいので、もう気分的にはすっかり夏休みに突入している状態だ。
昨日は僕が大学において腹を割って付き合える、ほとんど唯一の友人であるSと、海に行ったり、彼の運転する車でドライブしたりして遊んだ。
僕が大学で出会って交友がある友人は4人くらいいるが、うち3人はゼミで知り合った人、残りの一人がSだ。ゼミの連中とも会う機会がないことはないが、やはり今年4月に出会ってからまだそれほどゼミ以外で接する機会はなかったし、連絡を取るにも気が引けるような感じが依然としてある。それに対しSは昨年の春からの付き合いで、去年の僕の絶望的ヒッキー生活においては、ただ一人交友があり、僕への理解もある人間だった。すなわち特別な友人だったのだ。その関係はいまだに変わってはいない。
僕にとってSは代えがたい存在で、感謝もしている。しかしなぜバイトもしていてサークルにも入っている、ごく一般的な学生である彼が、とても普通じゃない行動と生活を送っていた僕のような変人と、今まで付き合い続けてくれたのか、大いに疑問であったりもする。
たまにジュースレベルのたかりを受けたりなどはするが、彼のほうも過去問だとか情報だとかを提供してくれるから、互恵関係が成り立っていると言えるし、決して搾取しようと思って僕とかかわりを持っているわけではない。
さしたる益もないのに、なぜよく付き合ってくれるのか。
前に一度彼に問うたことがあった。すると彼は、何でだろ、とだけ答えた。別に普通に付き合っているだけのつもりらしい。
それ以来特に僕のほうもかんぐったりせず当たり前のように接している。おそらくお互いうまの合うところがあるのだろう。僕のほうも彼とはまったく気を置かずに話せるし、共有できる話題もいろいろあるから。
少々ならず話がそれたが、そういうわけで、同じく専門のテストが終わった彼からの誘いで、昨日は二人でぶらぶらして、割と楽しい一日を送ることができたというわけだ。
さて、今年の夏は集中講義で忙しいということは前にも書いたが、集中は14日から始まることになっていて、それまでのごく短い期間が僕にとっての夏休み的夏休みというか、休みだと思える期間なのである。
その貴重な時間を何に使おうか、それを考えることが今の急務であり、重要なのだが、はてどうしたらいいものやら、考えあぐねている。
とりあえず4日間ほどは帰省する予定だし、集中講義に向けて書かなくてはならないレポートもあるが、それ以外はまだ空白だ。
そういえばバイトとかサークル立ち上げのことも考えなければいけないか、それもあったな。ゲームもやりたいし。
帰省すれば自分のPCが解禁され、出来ることも増えてくる。今日明日くらいを使って、じっくり考えてみるとしよう。
有意義な過ごし方というものを実現してみたいものだ。
- [2007/08/01 17:40]
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