僕を廃人にしたものたち 

高校入学以来、僕は自分に自信を失いダメ人間道を歩むようになった。

高校時代のダメ人間化のキーワードとしては、数学・化学の放棄、ネット・パソコン依存、帰宅部、塾のサボタージュ、一年次のクラスでの孤立、といったものが挙げられる。

テスト前後を問わず勉強しない、予習や宿題もほとんどやらない、授業時間は睡魔との戦いに費やす(降伏することも多々だった)、家庭科ではトートバッグを作れといわれてショルダーバッグを作る・・・僕は、そういう不真面目で、およそ進学校的高校には相応しくない生徒だった。入りたくて入ったのではなく、親に促されて仕方なく入った高校だったし、勉強勉強と言うばかりの教師たちの多くに反感を感じていたので、高校自体嫌いだった。でも何故か3年間皆勤だった。

勉強しなかったので、赤点(34点以下)を連発。特に数学と化学は赤点を取らないほうが珍しいくらい酷かった。化学なんて一度も赤点より高い点数を取らなかったような気さえする。そのつけが回って二年次には留年しかけ、学年末に数学Bと化学の進級をかけた追試を受けることとなってしまったりもしたが、3週間ほど猛勉強した結果なんとか進級することが出来た。しかし三年次も勉強しないのは相変わらずで、受験が迫ってきて申し訳程度に勉強をするようになったものの、日がたつにつれ絶望感を深めるばかりであった。今こうして大学にいるのは、センター試験がリニューアルする年度にたまたま当たって、問題が簡単だったからに過ぎない。勉強そのものも疎かだったが、MARCHというのが何を指すのかということもよく知らなかったほど大学進学自体にあまり真剣さを持っていなかった。

で、その流れでやっと本題に入るのだが、進路を漠然としか考えていなかった僕は何となく大学に入ったものの、大学で具体的に何をしたいとかそういう視点が全くなかった。大学がどういうところなのかもよく知らなかったし、勉強だって全然やる気はなかった。高校時代ですらやらなかったのだから、まあ当然といえば当然なのだが。僕は周囲のものに大して興味も持たなかった。変わりに内向きな趣味に走った。パソコンとゲームである。

その結果、一年の前期はオンラインFPSにハマってしまった。

それは高校のときからプレイしていたXoperationsという国産フリーソフトだった。バージョンアップを重ね、ちょうどユーザーもマップを作れるようになって色んな非公式のマップが公開されていたため、僕はかつてないほどにプレイに没頭した。マップがいじれるとはいえ、所詮は単純な撃ち合いゲームに過ぎないのだが、オンラインの魔力というのは恐ろしいもので、僕は昼夜を問わず何度も何度も見知らぬ人たちと戦闘を繰り広げた。このままではいけないとアンインストールしては、またしばらくするとインストールしなおすということを繰り返しもした。7月末にiフィルターを使ってソフトの配布ページにアクセスできないようにする強制措置にでることでようやく中毒に終止符を打つことができたが、結局生活に乱れをきたしたことでテストに欠席してしまうなどの影響を及ぼしてしまい、3単位しか取得できないという結果をもたらしたのだった。

後期はそれを踏まえて、留年しないためにも規則正しい真面目な生活を送るべきだった。だが、引きこもりと対人コミュニケーションへの恐怖心が悪化してしまい、パソコンへの依存は克服するどころではなかった。それに拍車をかけるように、10月末、僕は再びオンラインゲームの罠にかかってしまった。

今度はPS2のメタルギアオンラインだった。

メタルギアソリッド3サブシスタンスに付属していたものを、何となくプレイしたのがきっかけで、僕は以後数日間で40時間もプレイするほどハマった。初回プレイ時の様子は当時の記事、「メタルギアオンライン 初プレイ」に詳しい。このときのハマりようも凄まじいものがあったが、幸いにもこれは後日すっぱり辞めることに成功した。やはり前期の二の舞は避けたいという思いが強かったからだろう。その年の12月末で終了するサービスだったからどのみち強制的に辞めることにはなっていたに違いないが、自分で辞められたのは偉かったと思う。しかし単位のほうはというと、結局9単位しか取れず前期から大して進歩していなかったのだった。

そんなこんなな出来事が、現在の僕という一人の廃人を形成したのである。

異性への無関心 

※内容は真面目な気持ちで書かれたものですが、人によっては不快と感じるかもしれない部分が一部にあるので、ご注意ください。



僕は齢19にして、今まで彼女というものがいたことはない。いわゆる「彼女いない歴=年齢」というやつだ。女友達というほどの人もいない。当然ながら童貞。あと2ヶ月でヤラハタを達成する予定だ。

世の中には僕と同じ境遇にある人が割合いるらしい。「彼女いない歴=年齢 対策委員会」など、検索してみるとこの状況を打破しようという趣旨のサイトは色々とヒットする。

だが、僕はというと、特にこの現状に関してはどうこうしようとは思っていない。彼女が欲しいとか、脱童貞を図ろうとか、そんな気持ちはない。現在何のアクションも取っていないし、これからも何もしないつもりでいる。

なぜかといえば、それは僕が女性を異性として興味を持っていないからだ。人間としては男女関係なく同じ目で見ているが、女性に対して特に異性としての意識は持っていないのである。別にホモというわけではない。単に普段から誰に対しても色眼鏡をかけずに見ているというだけのことだ。そしてよく言う「二次元」のキャラクターなどに対しても、それは同じである。すなわち「三次元」も「二次元」も関係なく、僕は恋愛感情だとか、情欲などを抱くことがないというわけだ。

中学・高校と、田舎の素朴な風土の中に育ってきた僕は(今も十分田舎なところに住んではいるが)、長く周りで特に彼女どうこうとかいう話をしているのを聞くことも過ごしてきた。高校が進学校(とは僕は感じていなかったが)だったせいもあるだろう。家庭環境も割と今時としては厳しいほうだったし、恋愛ドラマをきちんと見たのは高三のときの「電車男」が初めてだった。要するに恋愛など実体験することはおろか、考えることすらほとんどない状況に長くあったのである。それが、僕の人格形成に大きな影響を与えたのは間違いない。恋愛などどこか知らない世界で、あるいはフィクションの世界で存在しているもの、美男美女がするもの、よく分からないもの、とにかく自分とは何の関係もないもの・・・。自然とそういう風に考えるようになっていた。

それがそんなにスタンダードな考え方ではないことに気付いたのは、大学に入ってからのことだ。友人のSもKも、彼女が欲しいというようなことをしきりにつぶやいているし、道を歩いていれば男女のペアがたくさん目に入る。4年ぶりにあった中学の友人たちに「彼女いる?」と聞かれ、いない、いたこともない、いない歴=年齢だと言ってどん引きされたこともあった。今では自分はマイナーな存在なのかなと考えてもいる。

でも僕はこのスタンスを変えようとは思わないし、変える必要があるとも思っていない。他の人がどうであれ、僕が異性に特段興味を持つことなどおよそ考えられない。人は人、僕は僕だ。そんなのは人間として不自然だ、そういう意見もあるかもしれない。でも、僕にとって恋愛などはよく知らないもの、そのよさだとか「味」を知らないものだから、それほど執着心はわかない、それだけのことでしかないのだ。ホンジュラスとかニカラグアがどんな国なのかどこにあるのか、僕を含め日本人はあんまり知らない。だから普段それらを意識することもないし、特別行きたいと思ったりすることもない。それと同じようなものだ。少なくとも自分からアクションを起こすようなことはこの先も決してないだろう。

人類の未来のためにも僕の劣等な遺伝子を残すべきでないという観点から、中学時代から生涯独身でいようと考えてきた。13か14のときだったか、40までに結婚してたら10万やるよなどと、何人かの友人とつまらない賭けをしたこともあった。一人で死ぬことへの恐怖があるから現状結婚は完全に無関心とは行かないが、出来るものとも思えないし、ほとんどどうでもいいと思ってもいる。するとしても年齢的にまだ当分先のこと、今は保留している案件だ。

セックスはしたいとは思わない。やったら自分が自分でなくなってしまうような気がするし、嫌悪感もある。子孫を残すためのもので、娯楽とするべきものではないという気持ちもある。その根源的目的・意味以外では1円の価値もないことだと思っているので、風俗など問題外。ただ本能である以上性欲がないことはなく、たまにムラっとすることはある。それを処理するためにオナニーすることはあるが、あくまで処理。画像とかを見ることはしない。頻度は週に1度程度だ。でも出来れば全くしないようにしたいと思っている。

何だか脈絡もなくなってきたが、要するに僕にとって女性は同じ人間という種の一員でしかない。何次元であれ特別な興味もない。道を歩いていて目には映っても脳で認識はしない。そんな存在で、これからもそうあるであろう。そういうことだ。そしてそういう人間であることが、自分が自分であるということだと、僕は思っている。

集中講義終わる 

今日で夏休み最後の集中講義が終わった。

全5科目10単位、20日間もの授業をこの2ヶ月で受けたことになる。今日テストだった2単位は確実に落としたが、6単位は堅く、残りの2単位は微妙という結果だが、前期のような留年が真剣に危ぶまれる状況は脱したので、取れていれば儲けもんという認識で特に不満もない。が、全く、夏休みらしくない夏休みだったものだ。

10日後には後期が始まるが、生活スタイルも、やっていることも、着ているものさえも6月くらいからほとんど同じなので、前期が終わらずにそのまま後期に突入してしまうような感覚だ。学校に行くことに抵抗を感じないのは好都合ではあるが、事前に目論んでいた1週間程度の自転車旅行や東京ゲームショーへ行くことが色々な事情でかなわなかったのは少々残念ではある。ほとんど家でごろごろしていた去年と比べれば、かなり有意義だったとは思うが、去年と違い高校時代の同級生と遊ぶ機会もなく、お呼びがかかることもなかったのは、やはり残念だったといわざるを得ない。

さて、明日から30日まで、残り9日間夏休みが残っているわけだが、この間、特に何をしようとかいう事は考えていない。とりあえず、明日明後日はやろうやろうと思いつつ延び延びになっているゼミのレポートを内容はともかく片付けるとして、残りは何をしようか。後期に向けた勉強、ゲーム、チャリでの遠出・・・考えてみると面白そうなことが結構思いつく。2ヶ月の休みで講義の他は何もなかったというのもちょっぴり寂しいので、最後のひと時で、何か思い出に残ることをしてみたいものだ。今夜は寝る前に、それをじっくり考えてみるとしよう。

前期成績の開示 

月曜日に学務情報システムという学内専用のサイト上(でもVPNソフトを使えば学外、アパートからも見れる)で、大学の前期の成績が発表された。

テストが終わって以来一ヶ月、この日をずっと気にしていた。

不安と期待とを抱きながら、待ってきた。

財政学はぼろくそな出来だったからフル単の望みは持てるべくもないが、その一科目落とすだけなら非常によい結果といえる。でも今まで取得単位の倍以上もの単位を落としてきたのだ。テストを受けただけで取れたかが感覚として分かるはずもない。今年は去年とは比較にならないほど真面目に臨んだとはいえ、まだ最善を尽くしたとはとても言えない。果たしてどうなっているものか・・・。

そしてその日の午前、どきどきしながらサイトにアクセスした。

結果は・・・

24単位中22単位が取れているという、想定上ベストな成績だった。

僕はうれしかった。

今年の初めに抱負として掲げた、「前期にフル単達成」という目標はクリアできなかったものの、十分満足行く結果だった。何より、自分はどうしょもないダメ人間だと思ってきたのに、人並みの結果が出せたことに、こんな自分でも真面目にやればどうにかできるんだというかすかな自信を持つことが出来た。このことが成績以上に大きな成果だったと思う。

友人のSとKは共にフル単だったことを同日に知った。これでSは3年への進級要件を達成し、Kは僕にあと1単位のところまで追いついたことになる。

でも僕の気持ちは変わらず、その日は清清しい気分に酔いしれた。

修得単位は合計で36単位になった。

1年で12単位、この前期で22単位、そして集中講義で結果が出ていた一部授業の2単位がその内訳だ。

夏休みの他の集中が取れれば、44単位。後期フル単なら68単位まで増やすことも可能。そうすれば進級要件60単位の壁はクリアできる。

後期は前期の続きの授業をたくさん取る予定だからそれなりに難しくもなってこようと思うし、念に念を入れて保険の為に放送大との単位互換制度によってCAP制の範囲外でさらに8単位申請するという「裏技」も使う。それにTOEICで730点以上も出来れば取りたい(そうすれば更に3単位ゲットできる)から、英語の勉強もしっかりやらなくてはならない。だからきっと前期よりも大変で忙しくなることだろう。

そうなるとやはりバイトをしている余裕というのもないかもしれない。ほしいものが色々生じてきてはいるが、まあ当分我慢するか。春休みにやってみるのもいいだろう。

レポートをまだ1本残したまま、夏休みは残りあと半月となってしまった。集中がもう一つあることもあり、もはや旅行か何かすることもかなわないが、自分で決めたことだし、必要なことなので、残念とか後悔とかはない。今一番大事なのは「3年に進級すること」なのだ。

前期の結果に油断せず、来る後期に向け、勉強や環境整備など準備を着々と進めて行きたいと思う。

レポートに死す 

僕はレポートが嫌いだ。

何をどう書いたらいいかわからないから、どういうものが求められているのか分からないから嫌いだ。

もちろん大学に入ってから今までに何本か書いたことはある。

でもそれはいわゆる「コピペ」レポートで、検索すれば簡単に元ネタが分かってしまうようなものだった。今考えるとものすごく大胆で愚かなことをしていたものだと思う。大学でのコピペレポート問題が盛んに取りざたされている(講義でよく話題として上るし、新聞記事でも目にしたことがある)今となってはそんなマネは出来ない。だからもう何を書けばいいのか分からなくなってしまった。本は探しても中々「これ」というのが見つからないし、実際手にとって見ると求めているものが書かれていなかったりする。答えのない問題を解くのは、ずっと受動的な勉強ばかりしてきた僕にとっては大変な苦難だ。

不安は更なる不安を生む。

レポートに何を書けばいいのかという不安は、書くのをためらわせる。そしてためらっているうちに、不安はどんどん膨らんでいき、レポートがとんでもなく巨大な敵のように思えてきてしまうようになる。僕は、レポートを前にしてその恐怖に打ち震える。

そして自分はレポートも書けない凡人未満の人間だと思うようになり、更にレポートを課す大学にもういたくないという思いに駆られるも大学を辞めてはこの先生きていけず、辞めるほどの勇気もないことは明白であることから、果てには絶望して「死にたい」と思うようにさえなる。

冗談だろ、と思われるかもしれないが、これは本当の話だ。

レポートが書けないから死にます、という遺書を書こうかと本気で思ったこともある。それほど不安定な心境に陥ったこともあった。現在の僕は、それほどまでにレポートに恐れおののいて生きている。まして卒論など・・・考えたくもないことだ。

だからレポートなど出来れば書きたくない、書きたくはないのだが、非常に残念なことに、僕は現在提出期限の迫ったレポートを抱えている。しかも2本もだ。

一つは先週受けた集中講義のテスト代わりのレポート。期限が一週間後と迫ってはいるが、こちらは内容の指示があり、制限字数も少ないからまだましなほうである。何とか書けそうだと思える。

しかしもう一方の、ゼミの課題は非常に問題だ。こちらは全く指示がなく、ゆえに何を書いたらいいかまったく分からない。しかもA4で4枚という、文字数にしたら5000字くらいというそれなりの分量が要求されている。単純に興味のあることを書こうとしても、その字数を満たすほどのものは書けそうにない。採点者がゼミの先生という僕のことを知っている存在である以上、ハンパなものではマズいなというプレッシャーが自然とかかる。それがより僕の首を締め付けることとなっている。

どうせ、所詮二年生ごときに大したものは期待していないはずだから、適当なのものでも大丈夫、と自分に言い聞かせてはみるものの、不安は一向に解消しない。

今週はせっかく集中講義がない週だというのに、全くリラックスできなければ、趣味に手を出す気にもなれない。

早く目の前のこの二匹の怪物を退治したいものなのだが、結局、今夜は一匹目の怪物と対峙しただけで終わってしまった。なんとも情けないことだ。

少なくともあと一週間くらいは、悪夢にうなされ続けることになりそうだ・・・。

メガネを常用しないわけ 

僕の視力は父親譲りでとても悪い。

近視で両眼とも裸眼で0.1あるかないかくらい。

なので当然ながらメガネを持っているのだが(矯正視力は0.8くらい)、それを常にかけているというわけではない。

というか、授業中とパソコンの使用などでモニターに向かうとき以外は、基本的にかけていないのである。

それゆえ、外を歩いていても人の顔がよく見えないから知り合いに気付くのも遅れる(鬱なときは誰もが自分を見ているような錯覚に陥る)し、看板・標識の文字などもはっきり見えないのが普通だ。

それはそれで不便なこともあるが、今のところメガネを常用するつもりはない。

それは何故か。理由は二つある。

一つは、メガネをかけていると、相手に「メガネ」という外面の特徴的イメージが先行しやすく、またそのイメージが強く残りやすいということから、内面の個性が強くない場合はメガネが内面を相手に伝える障害になりやすいためだ。

最近はメガネをファッションの一種と捉える見方も定着してきたとは言え、依然としてメガネから来るイメージといえば、ガリ勉、真面目といったものがあるように思うし、メガネは外見的にマイナスになるものと考える人も、特に女性には少なくないと思う。それを嫌って、コンタクトレンズを利用する人も大勢いるが、僕は眼球に直接人工物を貼り付けるというのが生理的に受け付けないし、管理が面倒だし、眼病なども不安なのでその選択肢はありえない。

僕のように初めての相手にも強く印象を残せるほどの、クセのある内面的特徴がない人間には、初見の相手にただ「メガネ」というイメージだけが残ってしまいやすい。メガネという存在によって自分が単純にカテゴライズされてしまいやすいのだ。だからなるべく自分そのものに目を向けてもらうために、僕は普段はメガネをかけないようにしているのである。

二つ目は、メガネをかけずに視界の映像をぼやけたものにしておくことで、目に入る情報を少なくするためである。

今の世界は色んな情報が溢れている。だから周りがはっきり見えると、道をほっつき歩いているだけでも、意図せず色んな情報が飛び込んでくる。だが、それは僕のようないつでもぼんやりしていたい人間には非常に疲れることなのである。そういう点で、メガネをかけないのはとても楽なことでもあるのだ。

そういうわけで、よっぽど視力が落ちでもしない限りは、これからもメガネを常用しない主義を貫きたいと思っている。まあ、それでもやっぱり、裸眼の視力が回復するならそれに越したことはないんだけどね。

牛乳の異変 

木曜から日曜まで実家に帰省して、4日ぶりにアパートに帰ってきた2日夜。

喉が渇いたなぁ、と思い、冷蔵庫に入っていた1Lの牛乳パックを手に取り、そのまま口に運んだのだが、

「!!」

中身の牛乳を口に含んだ途端、味がおかしいことに気が付いた。

腐ってるのか?

でも消費期限は6日となっている。まだ早い。開封済みとはいえ、冷蔵庫なのだからそんなに早く悪くなるわけがない・・・。

あっそうか!

自分の今さっきの行為を振り返って原因が分かった。以前にラッパ飲みしたときに唾液が牛乳に混じって、何らかの菌が発酵したのだと。

このまま放っておけばバターとかチーズになるのかな、などと楽天的に考えもしたが、うまいこと乳酸菌が発酵しているとも限らないし、おそらく各種の菌が絶賛増殖中なのだろうと予想されたため、口の中に入っていたものも含め飲みかけの牛乳は全て処分した。少し飲んでしまったせいで、後味の悪さは残ったけれど。

まだまだ暑さが気になる季節だから、コップに注ぐ手間を惜しんで、ついつい飲み物をパックのまま飲みがちなものだが、今回のことを教訓に、今後はしっかりコップに移してから飲むように心がけたい。