またつまらぬことを知ってしまった・・・ 

♪知らない言葉を覚えるたびに
僕らは大人に近くなる
けれど最後まで覚えられない
言葉もきっとある
(中島みゆき 「命の別名」より)

※以下多少下品な部分があるので注意

あんまりこういう話はしたくないんだが、一度くらい書いておくべきことなので・・・。
下ネタ書くのをはばかられるのは童貞だからとか、そういうことは言われたくないしね。
童貞を引け目に感じたことはないし、むしろ「かくいう私も童貞でね」というセリフを聴いてから、
ある種の特権じゃね?みたいに感じてもいるけど、そのことで卑下されたくはないからね。

で、なんの話かというと、まず僕は今まで島耕作というマンガのキャラクターをただのヤリチンだと思ってきたんだよね。
1・2年前に「課長」を1巻だけ読んだことあるんだけど、端からベッドシーンばっかで「なんだただのヤリチンじゃないか」と思ったわけ。
それでそれ以来島耕作に対し、続きも読まないままずっとそんな偏見を持ってきた。

で、今日たまたまそのことを思い出して、「他の人もこういうこと思ってるはずだ」と考えたわけ。
それでネットで検索してみた。
するとね、やっぱりそういうこと思ってる人が大勢いたんだ。
いやむしろ「島耕作といえばヤリチン。ヤリチンといえば島耕作」みたいな捉え方が一般的らしくて、
「セックスのない島耕作なんて島耕作じゃないですよ!」
「粘膜をすり合わせているだけであれよあれよという間に素晴らしい人脈を築き上げ
(中略)奇跡的に出世街道を驀進するファンタジー作品の主人公 」
なんて言われ方さえされていた。
そういう痛快な意見がAmazonの「課長 島耕作DS」に載っててしかも多大な支持を集めてたもんだから、思わず大爆笑!
何だそういう読み方をすべきマンガだったのか、と少々自分の考え方を改めさせられてしまった。

が、しかし話はそこで終わりではない。
上記のレビューの一つで、僕は「わかめ酒」という単語を見かけたのだ。
今までに見たことのない、意味を知らない言葉だった。
そこで当然ながら、「これはどういう意味だろう」と思った。
ネットを使っている最中なので簡単に検索できる。
いつものように好奇心からその言葉を検索してみた。
数秒後、僕はその意味を知った。
























ただの下ネタだった。














意味は言うのも馬鹿らしいことだが、ただマニアックな遊びとだけ言っておこうか。
僕は後悔した。
また一ついらぬことを知ってしまった。汚れた大人になってしまった、と。
意味を教えてくれたWikipediaを恨んだ
そして頭の中で突如流れ出す冒頭の歌。
その歌詞をかみ締めながら、僕はため息をついた。

今回の言葉以外にも、俺の知りたくもないような知らない言葉は、世の中には五万とあるに違いない。
でもこれからもふとした機会に思いがけず知ってしまうのだろう。
中学に入ってから今まで、そうしてたくさんのことを知ってしまってきたのだ。

体は老いていく一方でも、せめて心の中は少年時代の純粋さを保っていたい・・・なーんて思うこともあるけど、すでにもうそんなのムリってところまで来てしまったのかなぁ・・・。
そう思うとちょっとだけ悲しいのでした。

そもそも自分の考えなんて、 鼻くそみたいなものです。 

今日、たまたまYahoo!知恵袋に利用登録した。
そして2つの質問に回答してみた。

友達が欲しくて悩んでる人には長文、
エコという言葉に気持ち悪さを感じてる人には短文で、
自分の考えを述べた。

前者は自分の気持ちの整理みたいな意図で書いたのでまあどうでもいい。
後者は持論の「エコなんてのはいい格好したいっていう人間の『エゴ』の表れ」っていうことを書いた。

で、後者の考えを持ってる人ってのはどんくらいいるのかなーって思って調べたら・・・・・・
なーんてことはない、大勢が同じようなことを思ってた。

まあ所詮俺ごときのスカスカな脳みそで考えたことがオリジナルな意見なわけないか、
っていう若干のがっかりさと、
同じことを考えてる人がいるなら俺の考えもまんざら馬鹿げた考えってわけでもないのか、
っていう自信や安心感やみたいなものが同時に感じられた。



しかし今はそんな文章書いてる場合じゃないんだけど、ねぇ。

ちなみにタイトルはみうらじゅんさんの言葉。
出典:ほぼ日刊イトイ新聞 みうらじゅんに訊け!―就職編―

ドイツ語検定 合格への道 

最近、にわかに毎日の勉強時間が増えてきた。

というのも、ドイツ語検定試験が近づいてきたからだ。

僕が受けることにしたのは、4級。

すでに申し込み済みで受験票も届いている。

いまある級の中では一番下の、一番簡単な級だが、これに合格すれば、
初修外国語の単位が3単位認定されるのだ。

今期独語の授業を受けるつもりで結局怖気づいて受けなかったため、
今回否が応にも検定を受けることになったのである。

だが、合格までの道はかなり険しい。

そもそも独語の知識・学習経験がほぼ皆無で全て独学で学ばなくてはならないのに、
試験勉強に本格的に取り組み始めたのが先週水曜(11日)という無謀さ。

試験日は今週末の日曜(22日)だから、11日前にしてようやく重い腰を上げたということになる。

いくらなんでも腰が重すぎた。あまりに動くのが遅すぎた。

合格に必要とされる学力は60時間程度の学習経験とされているから、
最初は1日2時間で30日かければいいと考えた。が、持ち前の怠け癖と楽天的思考で、
3時間×20日にすれば、4時間×15日にすればと、試験日が近づくにつれどんどん後回しに。

結果的に1日6時間×10日で済むだろう・・・というところでようやくもはや限界だと気付き勉強を始めたが、
そのツケとして今かなり勉強に苦しめられている。

それまでは1日1時間勉強するのさえままならないという状態だったのに、
いきなりそんな長い時間勉強できるようになるなんて見込みがまずムチャだったと思う。

それでも最初は文法も簡単なところばかりだったので、理解しやすく、楽しくさえあり、
それが勉強のモチベーションになるといういい循環が生まれていた。
しかし文法が一筋縄では行かない複雑さを帯びてくるに連れて、テンションは低下、
進行効率も低下し、足踏みばかりの状態へと陥っていった。

今は大体文法書の3分の1を何とか理解して、5日間で通算24時間弱を勉強したところだが、
正直言ってまだ、合格にはほど遠いというのが実感だ。

合格に近づいている感じはしない。

これは愚かにも自分の犯した二重の過ち
―――独語の授業から逃げたこと、勉強を始めるのを後回しにしすぎたこと―――
の招いた結果だ。

合格の見込みはまだ薄いが、4000円もの受験料をムダにするわけにはいかないし、
試験にも自分にも負けたくはないという気持ちも少なからずある。

完全に理解しようとして同じところで地団駄を踏むより、
ここからはとにかく先へ先へ、多くの知識を取りいれようとしていかなければなるまい。

あとわずか6日しかないが、望みがあると信じて、やれば出来ると信じて、
最後まで死力を尽くす所存である。

たばこ一箱を3000円に 

先月末、朝日新聞に面白い記事が載っていた。

「1箱500円なら『吸わない』過半数」という記事で、全国の男女9400人にネット上でアンケートを行ったところ、そのような結果が出たといった内容だった。

その中で僕が注目したのは、「禁煙を決意する(1箱の)値段」という質問の中で、「いくら高くなってもやめない」という人が11%もいたことだった。

よくたばこを擁護する側が用いる論として、「たばこは重い税がかかっているんだから国の税収に貢献しているではないか」というのがある。

JTのHPによれば、たばこには一箱の売値を300円とした場合、189円の諸々の税金が含まれているという。全体の63%が税金というわけだ。そして税収は2兆2400億円(H17年度)に上るという。

これだけ見ると、なるほど確かにこの税収はバカにならないな、と普通の人は思ってしまうだろう。だが、果たして本当にこれだけの「純利益」が生じているのだろうか。

ここで違う視点から見てみよう。たばこによる社会的損失はどれくらいかという問題である。損失というのは喫煙が原因となる直接的・間接的な健康被害や、仕事中に喫煙することやニコチン切れで落ち着かなくなることなどによる労働生産性の低下、たばこの火の不始末による火災などのことを指す。これは色々な試算があるが、大雑把に言って大体5兆6000億円ほどとみられている。(参照リンク:たばこの経済学「たばこは国家財政に貢献している」という話は本当か)つまりたばこは差し引きで3兆円以上もの赤字を生んでいるのである。貢献などというのはとんだ嘘っぱちなのである。たばこは純粋な害悪なのだ。

しかしだからといって輸入も製造も販売も使用も完全禁止!ということに出来るかというと、これはかなり難しい問題だ。もちろんそれが望ましいのだが、たばこ擁護派には政府や財界のお偉いさんたちが大勢含まれているはずだから、いくら害が明らかで市民がたばこ排除を訴えたとしても、中々重い腰を上げてはくれないだろう。どうせ「税収」を盾にしてくるに違いない。

そこでその税収を逆手にとってやろうというのが、僕の提案なのである。

ここでさっきの、たばこが「いくら高くなってもやめない」という人が11%いたという部分に注目したい。彼らが本気でそう思っているなら、たばこの値段が10倍になっても、単純に考えて300円から3000円になってもやめないということになる。反対に今吸っている人の89%は吸うのを諦めることになるということだ。これはたばこを守りたい側にとってどういう影響を与えることになるだろうか?

一人で現状の10人分の額を支払ってくれるなら実質的に収入額は変わらないし、もしかしたら増収にもなるかもしれない(たばこにいくらでも払っていいという金持ちは高いたばこを買っているはずだ)から、製造者であるJTは文句を言えないだろう。税収を守りたい国や自治体にとっても税額自体は変わらないことになる(ただ金持ちの多い都会と地方とで偏りが生まれるので地方税を国税にかえて再分配したほうがいいかもしれない)。愛煙者と呼ばれる人たちも、半数近くは「すぐにでも禁煙したい」と思っているし、8割の人は近年の禁煙意識の高まりで「吸いづらくなった」と感じていることから、大方はやめれるものならやめたいと思っているようだから、経済的に厳しいと思ったらこの際きっぱりやめてしまえばいい。日本人なら、周りの喫煙仲間が「やめる」といえば自分もやめようかなと思ってしまうものだ。そもそも吸いたいという感情はニコチンによる中毒症状でしかなく、本心から望んでいるものではないのだし、たばこの「効用」として考えられているものは、非喫煙者の平常状態に戻るということでしかない。喫煙に成功すればみんな「やめてよかった」と思うはずである。

このように擁護派には反論の出来ないことが分かる。

一方たばこによる損失はどうなるだろう?

これはあまり単純に考えられるものではない(ガンなどの病気は長年の蓄積により発症するものだからだ)が、徐々に減っていくと考えられ、長い目で見ればやはり10分の1程度にまで抑えられると思われる。これは単なるお金の損失が減るという以上に、それだけ人々の命がムダに失われずに済むようになるということでもある。

つまりたばこの額を10倍にすることは、「メリット」を残して、デメリットを小さくする効果をもたらすのだ。

僕はたばこを今まで1本も吸ったことがないし、これからも吸わないつもりだが、それが自然で当たり前なことという社会にしていくためにも、たばこがもっと値上がりすることを日々願っている。